京都の史跡Part3

 大江町といえば酒吞童子。

 酒吞童子を退治したというのが源頼光とその四天王達。今回は四天王の1人、渡辺綱(わたなべのつな)にまつわる史跡を紹介します。

↑東寺(とうじ・日本最初の密教寺院)、酒吞童子は伝教大使最澄(比叡山)や弘法大師空海(高野山)との戦いに敗れ大江山に住み着いたともいわれている。

↓東寺南大門から九条通りを桂川方面にむかうと羅城門遺址(らじょうもんいし)がある。

↑矢取地蔵尊が目印・羅城門で襲われた弘法大師空海をお地蔵様の化身が身代わりになり助けたとされる。

↑羅城門跡は公園となっている。

 「羅生門」だと思っていたら「羅城門」だと知りました。

 しかも1000年以上前にはに倒壊しており、現在は民家が立ち並んでいるので正確な位置は分かっていないらしい。

 朱雀大路は幅84メートル朱雀門から羅城門まで長さ4キロあったというから凄い、そこに幅33メートル、奥行き8メートル、高さ21メートルの羅城門があり「平安京」を守る結界の役割を果たしていたらしい。が、風には弱かったらしい。

 「羅城門」に鬼が出るという噂があり、「出る!」「出るわけない!!」の話になり、渡辺綱が「じゃあ、ちょくら見てくるわ」と1人で出掛け、鬼と戦いになったようです。

 今でいう肝試しだったのでしょうか?

 肝試しで鬼が出るのもあれですが、それと戦う平安武士もあれですね、戦闘狂?

↑こちらは「晴明神社」にある一条戻り橋での出来事の説明書き、酒吞童子の住処を占いで見つけたのが「安倍晴明」と言われている。

↑一条戻り橋の上で渡辺綱が鬼の腕を切ったという(これは晴明神社内に復元されたもの)

↑「北野天満宮」にある渡邊綱の燈籠(ここでは渡辺ではなく渡邊になっています)

 鬼を切ったのは羅城門ではなく一条戻り橋という話もありますが大昔の事なので確かめようもありません。

 そもそも「鬼などいない!」とか言う人には、「お前は鬼か!」と言ってやりたい。

 平安武士が鬼と戦うというのはロマンなのです。羅城門でも一条戻り橋でも大江山でも鬼と戦って「鬼切安綱」で切りまくったに違いない。

 そんな渡辺綱さん、嵯峨天皇の子孫であり、光源氏のモデルといわれる源融(みなもとのとおる)の子孫であり、全国の「ワタナベ」姓の祖というから驚きです。

 そしてそんな平安のスーパースター達を相手に戦った酒吞童子も半端ないわけです。もっと脚光を浴びていいのではないでしょうか?

 酒吞童子にまつわるものも紹介していきたいと思っています。