唯心護身術とは?
「唯心護身術」は江戸初期に古藤田俊直(ことうだとしなお)、通称・勘解由左衛門(かげゆざえもん)、号・唯心(ゆいしん)が創始した「唯心一刀流」(現在は失伝している)をヒントに名付けました。
「唯心護身術」と「唯心一刀流」はまったくの別物です。
私の先祖は平氏と言われています。のちに磐城湯長谷(いわきゆながや・現在の福島県いわき市常磐)藩士となり、私で9代目となります。
むかし大平家の歴史に詳しい人から細かく由来を聞いたことがあるのですが、その時は全く興味がなく、真に残念ながら全く覚えていません。
磐城湯長谷藩は磐城平(いわきたいら)藩の支藩として1万5千石ほどの小藩でした。(映画・超高速参勤の舞台になった)
しかし調べてみると丹波国
何鹿郡(いかるがぐん)・私市村(きさいちむら) ※現在の福知山市報恩寺(ほおじ)、印内(いんない)、山野口(やまのくち)、私市(きさいち)の辺り。
氷上郡(ひかみぐん)・下竹田村(しもたけだむら)、勅使村(ちょくしむら) ※現在の兵庫県丹波市市島町下竹田、東勅使の辺り。
にも領地があったようで、今まで福知山市には「縁もゆかりもない」と思っていたのだが実は「縁もゆかりもあった」らしい。
いわきとは遠すぎる地にふしぎな縁を感じると共に「無知とは罪」であると常日頃、言ってもいるし思ってもいます。
「唯心一刀流」は磐城平藩(大垣藩、笠間藩、富山藩など)に伝えられていた剣術で、磐城平藩に伝えられているのなら磐城湯長谷藩にも伝えられているだろうとのことでご先祖様に敬意を表して「唯心」を付けさせて頂きました。
そして「唯心」の「シン」には新、信、芯、伸、真、進、清、深、親、慎、身、など多くの字をあてはめることが出来ます。求めるものは人それぞれ、1人1人が唯(ただ)1つの「シン」を求めていけばいいというのが私の「唯心」です。
唯心護身術とした後で「唯心論」「唯物論」というものがあるという事を知ったのですが、それについては長くなるのでまたの機会に書こうと思います。
唯心護身術の前は打道会(だどうかい)でした。
剣術というのは「切る」という動きが主となる訳ですが、現代日本においては刀を日常的に持ち歩く事は出来ません。木刀や警棒でさえも一般人が日常で持ち歩く事は難しい。
刀が日常生活にない現代日本において「切る」という動作より「打つ」という動きの方が現実的であり役に立つということから「打道会」としました。
「唯心護身術」では護身杖を使います。武器としてではなく補助具(健康器具)としてなら現代日本においても杖は所持出来ます。
そして護身術は「勝ち」を求めないので「武器」である必要はないのです。
護身術の考え方についても長くなるのでまたの機会に書こうと思います。