東日本大震災から11年。奇しくも16日に福島県沖を震源とするマグニチュード7.3、福島県浜通り、いわき市では震度5強の地震が起きた。
今回は震源の深さが60キロという事で甚大な被害は免れたが3.11を思い出したという人も多かったと思います(3.11のいわき市は震度6弱)。
一般的には東日本大震災は3.11という認識だと思うのですが、いわき市では1ヶ月後の4月11日(以後4.11)に起きたいわき市南部を震源としたマグニチュード7.0、震源の深さ6キロ、震度5強の直下型地震の方が被害(津波以外)が大きかったのです。
4・11の地震が起きた事で未知の断層が見つかりました。つまり今現在、断層が無いと言われている所でも実際に地震が起きてみないと分からない断層があるということです。
実際に現場を見ましたが地面は1メートルくらいずれ、底が見えないぐらい深い亀裂で「これが直撃したらどんな建物も耐えられないだろう」と率直に思いました。
復旧作業に参加し、呼ばれたのが5月のゴールデンウィークでした。
朝、現場に行くと他の作業者も来ていましたが、作業を指示する担当職員が来ない。
1時間か2時間か、待ったような記憶があります。ようやく連絡が取れるとゴールデンウィークなので役所は休み、担当職員も休みで「ゴールデンウィーク明けに行くので作業している振りをしていてくれ」との事でした。
お役所はどうか知りませんが、我々民間では仕事をする振りをするという概念は無いのでやれる範囲で仕事はさせて頂きました。
3・11の時も瓦礫の撤去作業が進まず、放射線の問題かと思っていたのですが、どうやら管轄?だか部署?だかの問題だったようで、堪りかねた業者が「ボランティアでいいから撤去させてくれ」と言ったが断られたという話も聞きました。
その一方で警察官になったばかりの若者が遺体に関わる業務に耐え切れず、毎晩泣きながら「もう辞めたい」と電話をして来る。という話をその父親から聞いたこともあります。
いざという時にはお役所の仕事は非常に重要になって来ます。ほとんどの職員の方は自分も被災者であるにも関わらず、一生懸命職務を果たしていました。
その一方で無能な役職持ちや上司が役に立たないのも事実。
「普段は役にも立たなくてもいざという時は頼りになるのではなかろうか?」という淡い期待があったりする訳です。
ドラマや映画ではあるかもしれませんが、それは幻想です。
「普段役に立たない人はいざという時も役に立ちません」残念ながら急に覚醒などしないのです。
人は人に期待し、理想を求めてしまいます。
しかしながら、理想は自分自身に求めていくものであって人に求めるものではありません。
いざという時の判断は非常に難しいものです。でも自分の事であれば自分で決断しなければなりません。
いざという時の判断を間違えないためにも普段の判断が大事だと思うのです。